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5年前の「あの日」 [ほんのつぶやき]


あの日

大変な事が起こってしまった
震災
津波
原発事故

あの日

電車が止まり、仕事が終わって夕方数駅分歩いて帰宅した

国道沿いに黙々と歩く人の列
渋滞でびくりとも動かない車の列
つながらない携帯電話

まるで以前観たパニック映画のワンシーンそのままだった


家に一番近いトンネルを抜けると、広がる停電で暗闇になった町
点灯していない街灯、信号機
明かりの灯らない家々
生まれて初めて見る異様な光景


家に帰って、家族の安否の確認後、ロウソクと懐中電灯の元で簡単な夕食を済ませた

暖房の無い寒い夜
余震に不安がこみ上げる

実感される、「当たり前の生活」の何と便利でありがたいこと

その後続々と入るニュースに、とんでもない事態が起こっている事実を知り、今生きていることに感謝しなくてはいけないと悟る


そしてその後

計画停電
チェーンメール
ガソリン・灯油不足
食品の流通不足・買占めによる、がらんと何もないスーパーの売り場

放射能汚染の不安
ここよりも被災地に近い方面に暮らす親族への心配


春はもう目の前だったけれど
桜の花芽はしっかりとつき始めていたけれど

すべてがモノクロになってしまったようだった


あの日

あの日から5年
流れゆく歳月
私の中で、何が変わり何が変わらなかったのだろう


目を閉じて記憶を手繰り寄せ、今もう一度自問する




スナップエンドウの花
(ついに今朝スナップエンドウの花が開いた)



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コメント 10

まりりん

あの日、私も東京出張中(会議中)で、帰宅難民になりました。
次の日は、息子たちのセンター試験の日だったのに!
必要以上に心配をさせてしまいました。
神戸に帰ってきて、街が明るかったことで安堵しました。
by まりりん (2016-03-09 23:35) 

あとりえSAKANA

従兄は家族があの日仙台の自宅を離れていたため
家族は難を逃れましたが、自分は仕事をしなければならず、
配給も受けられず、水だけで丸3日過ごしたらしいです。

私なんて関西にいて怖いニュースに耳目を向ける事ができず
一週間ずっと音楽だけを聞いて過ごたような根性無しなので
何も語る事はできません(語ってますが)。
とにかく何もなく平和で過ごせることのありがたさだけは
身にしみているので、平穏な日々がずっと過ごせる事を
祈らずには居られません。
(たくさん書きこんでごめんなさい)
by あとりえSAKANA (2016-03-10 00:37) 

saia

>まりりんさん
以前まりりんさんのブログでそのお話を読み、大変な思いをされたことに胸が詰まりました。
帰宅難民、さぞかし不安だったでしょうね(´・_・`)
お子さま達も心配だったことと思います。
神戸はあの日よりも前に辛い過去がある街ですから、街が明るく出迎えてくれたのは何よりまりりんさんを安堵させたことでしょう。

by saia (2016-03-10 07:20) 

saia

>あとりえSAKANAさん
従兄さんはそんな大変な目に遭われたのですか!
ご家族はご自宅を離れていらっしゃったとは、不幸中の幸いでしたね。
仙台も大変な被害があったと見聞きしています(>_<)
ご親類がご無事で何よりでした。
あとりえSAKANAさんとまったく同じく、私も平和で平穏に毎日過ごせることに感謝して、ずっとそれが続くよう祈らずにはいられません。
たくさん書いてくださって、ごめんなさいだなんてとーんでもないです!
嬉しいです。 どうもありがとうございました!

by saia (2016-03-10 07:37) 

yoko-minato

そうですよね。
5年が経とうとしているのに
福島は、東北の街は復興が
進んでいるのでしょうか?
明日又テレビで東北の街を
色々取材するのでしょうね。
5年でどれだけ進んでいるのか
私たちはしっかりと見ないとむいけませんね。
by yoko-minato (2016-03-10 14:59) 

saia

>yoko-minatoさん
街の復興も他県への避難者の支援も、大きく進んではいないと聞きます。
今も仮設住宅に住まう方は、およそ9万人いらっしゃるのだそうですね。
記憶を風化しないこと、yoko-minatoさんのおっしゃるように復興の様子を私たちがしっかりと見続けることも、支援の一環になるのかもしれませんね( `ー´)ノ

by saia (2016-03-10 15:43) 

みーる

もう5年が経ちますが、希望を見つけた人 時が止まった人とそれぞれの震災があります。
三陸海に何度か行きました。子供の頃に遊んだ浜は ありませんでした。こんなことがあるものか?!と海を見て大声で泣きました。私は関東に家があるけど、今もここで暮らすあの人達を見たら 涙を急いで拭きました。もうこんな事故や大津波が起きないようにと思わずにはいられません。
by みーる (2016-03-10 19:55) 

saia

>みーるさん
みーるさんは被災した地方のご出身でいらっしゃるのですね。
きっと私の想像もつかないような悲しみと衝撃を受けられたことと思います。
胸が詰まります。
私は小学生の時、夏休みにお友達のお母さんの田舎に一緒に連れて行ってもらったことがあるのですが、それが岩手県大船渡市の碁石海岸でした。
当時ニュースで変わり果てた風景を見て・・・
もう言葉になりませんでした。。。

by saia (2016-03-10 21:02) 

ok-rock

もう5年ですね。saiaさんが書かれたように、いろいろな事がありました。
自分は自宅の被害はなかったのですが、職場では亡くなられた人もいて半年ぐらいは非日常が続きました。
直接、深い悲しみを経験した方はもちろんでしょうけど、自分のように自身に大きな被害がなかった者でも、決して忘れられない出来事ですね。
もちろん、震災は起きなかった方が良いに決まってますが、それによって気が付いたことも多いです。多くの人が少し優しくなれたかもしれません。多分、自分もです。

by ok-rock (2016-03-10 22:32) 

saia

>ok-rockさん
心温まるコメントをありがとうございました。
そうだったのですね。 職場で亡くなられた方もいらっしゃったとは・・・
私の方も半年ぐらいは非日常だったことを覚えています。
今ok-rockさんのブログに再び行って、ご相談させていただいた件のお返事を確認しました(o^^o)
ご快諾してくださってありがとうございます!
明日記事にして更新したいと思います。

by saia (2016-03-10 23:38) 

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